金欠底辺生活経験者あきもんのプロフィール

どうも、はじめまして。

社会人になることを辞め、

金欠底辺生活を長年味わった管理人「あきもん」です。

小学時代はよくいじめられ、

中学時代はよくいじられ、

高校時代はコミュ障を発症し、

社会人生活では原因不明の頭痛に悩まされ、

仕事中に右足をリフトで踏まれて大怪我をし、

仕事やめてニート時代はお金に行き詰まって鬱になりかけ、

初めてネットビジネスの話を耳にしたときはワクワクするも

情報弱者で詐欺商材を掴まされ人間不信に陥り、

そんな中でアフィリエイト成功者の話を聞いては妬み羨み、

己の無知を思い知らされ、

落ち込み、悩み、もがきながら

今まで生きてきました。

ただの凡人ですが、凡人なりに様々な人生経験をしてきました。

社会人を辞め、パチンコで生計を立てつつ自分探しをする

実は、僕はパチンコが大好きです。

高卒から一時期ハマっていたことがあり、

社会人4年目までに400万以上をパチンコに貢いでいました。





パチンコ屋に貢いでいる最中にMLM(マルチレベルマーケティング)の経験もあり、

20歳前半に3社ほど経験し、すべて失敗。



一部の友人と親戚の信頼も失うし、

夢も希望も無いと愕然とすることも多々ありました。

働いて稼いできたお金は増えず、負債が増えるばかり。

泣きそうになりました。

しかし仕事を辞めた後に必勝法を習得し、

パチンコで生計を立てていたこともあり、

4年でパチ屋に溶かした累計500万を2年ほどで回収したこともあります。



必勝法でパチンコ店を回っている間にも情報収集を継続し、

アフィリエイトが成功できる一つの方法と再認識し、

現在はアフィリエイトや投資などのビジネスで食べるため、

色んなアルバイトをしながら、読書や音声等で知識を習得しつつ、活動を続けています。



ネットビジネスで生活できるための知識をインプットし、

あとはアウトプットを続けて収益獲得を目指すのみというところまで来ました。



僕は佐賀県に生を受け、爆益という野望を持ってひっそりと暮らしています。

本音を言えば、早く稼いで自由に暮らしたい。

そして今までお世話になった人や応援してくれた人へ恩返しがしたい。



できない理由はお金です。

僕は現在フリーターとして、後に起業するために動いています。

それまでは、今まで増やしてきた先行投資等の借金返済と生活のため、

いろんな所でアルバイトをしながら生計を立てつつ、

ネットビジネスが上手く行き始めたらそちらへシフトしていく計画を立てています。


なんだかブレイクする前の芸人さんみたいですね。

今まで経験した仕事はパッとしないものが多かった

今まで経験してきた仕事は

学生時代は新聞配達を6年、

冬季限定郵便配達を3回、

高卒後の社会人ではドコモショップを1年、

運送事務兼倉庫管理業務を3年、

郵便配達員アルバイトを1年ちょっと、

商事会社配達員・作業補助を1年。

合間合間の年末に、

商店街の酒まんじゅう屋の作業場であんこを専用の機械に流す作業や、

某大手運輸で運ぶ荷物の仕分け作業を早朝からやったり。

ネットショップ運営管理を依頼を受けて2年、

先輩が独立して立ち上げた商事会社の作業補助、

知り合いの海苔師さんの海苔作りの手伝い

を、働ける日に入ってお仕事しています。

合間には佐賀白石たまねぎ収穫のお仕事と、

佐賀白石蓮根(れんこん)選別作業のお仕事もやってましたね。

2年間はIT企業にてICT支援員として先生のお手伝いを行い、

動画編集のお仕事も少ない本数ではありますが行いました。

職業訓練校にも通い、Word,Excel,PowerPointの操作方法と

タッチタイピングを習得しました。



それに加えてネットビジネスを空いた時間にコツコツやるというスタイルです。

趣味の範囲では動画編集もやっています。

きっかけはパチンコ実機の動画配信ですが、

Youtuberさんの動画編集のお仕事とは違って気が楽です。

振り返ってみると案外いろんな仕事を経験したと感じますね。

でもICT支援員の仕事以外はやり甲斐をあまり感じることができず、

先が見えなかったり業務内容や人間関係がきつかったり

合わなかったりして辞めていったものばかりです。



まず新聞配達はほぼ毎日朝早く起きなきゃいけない。

雨の日も、風の日も、雪の日も。

そしてどんなに眠くてもやらなきゃいけない。


新聞販売員さんは凄いです。

ドコモショップではお局さんに地獄を見せられた

次にドコモショップ。

ココでは人間関係の地獄を見ました。



表では爽やかでキレイな女性の店員さんや

スーツ姿がビシッと決まっている男性の店員さんが笑顔で接客してくれます。



しかし裏では何が起こっていたか。



新人研修までは良かった。そう、新人研修までは・・・。



新人研修が終わってからというもの、

自分が無知でコミュ障なのもあり失敗の連続。



怒られるのは当たり前だが、それだけで済めばごく普通の風景。

そう、それだけで済めば良かったんだ・・・。



実はその職場にはお局さんがいて、

そのお局さんは「新人いびり」と「気に入らない人はとことん無視する」

最悪の性格の持ち主でした。



その人にはある意味お世話になりました。



まず接客に何度か失敗するとそれからは一切表に出してもらえず

それ以降は裏方の電話番の仕事をするように。



でもコミュ障だから電話でもつまづきお客さんを待たせてしまうダメっぷり。



裏方に回って仕事のことでお局さんに尋ねてみるも無視されることもしばしば。



失敗を続けていた自分も悪いんですが、一年で何度怒られたことか。



怒られているときも、何で怒られているのかわからないこともありました。



勤務表が作られた時真っ先にお局さんと休日が重なっていないか確認するくらい恐れていました。



休日が全部重なっていたときはがっかりしていたのを良く覚えています。



自分が勤めていたドコモショップは運送会社が代理店をしていて、

自分がうまくいってないのを見かねた店長が、

運送会社の運輸部への異動を上に呼びかけてくれたみたいで

1年で運輸部に異動になりました。

運輸業では右足の怪我がトラウマの引き金となった

運輸部に異動してからは男性比率がかなり高くなりましたが、

トラックドライバーさんがとても気さくで話してくれる人が多くて

精神的には少し楽になりました。



しかし勤務体制があんまり納得いかず、

事務と倉庫管理だけでなく、積み込み人が足りなければ事務員が派遣され、

外仕事が終わってから再び事務で残業は当たり前。



当直が月2~3回あり、帰れるのは次の日の18時過ぎ。



そして決定的に精神的にも肉体的にもダメージを負ったのが、

荷物積み込み中の事故でした。



トラックに積まれたJRコンテナに荷物を積み込み、

コンテナ内の風通しを確認するために一度トラックから降りたところに

先輩の運転するフォークリフトが後方確認をせずに僕めがけて走ってきて、

僕は後ろを向いてたのでそれに気づかず右足がリフトの右後輪に乗っかり、

突如自分が悲鳴を上げて先輩がそれに驚きブレーキをかけ、

それが最悪なことに後輪の滞在時間を長くさせ、6秒ほど乗っかられてしまったのです。



直ぐ様近くの整形外科に行って治療を受けました。



幸い安全靴を履いていたので指先は潰れずに済み、

診断結果は骨折ではなく打撲と捻挫で全治3ヶ月。



フォークリフトがまっ先に身体めがけて来られていたら・・・

会社が事故物件として大島てるに登録されていたかもしれない・・・

と思うとゾッとしますね。



治療後、右足は歩けるまで回復しましたが、雨の時に痛んだり、

歩き過ぎると痛んだりと神経に後遺症が残っています。

事故から10年以上経ちますが、少しはマシになっても未だに残っています。



しかし今思うと命があり、五体が満足に機能している事に感謝しなければなりません。

右足だけで済んだからよかった・・・と。


当時は生命保険に入っていましたが、入院ではなかったので保険金が下りずに

納得がいかなかったのを覚えています。(労災は適用されました)

生命保険なんてクソクラエ!と心底思った時期でもあります。



しかし精神的に当時はすごく引きずっていたので上司に相談し、

後輩に業務を引き継ぎ3年で運送業を辞めました。

このとき2008年3月。22歳になっていました。

会社員を辞め、向かう方向性を見失っていた時期

それから約8ヶ月の間はニートで、失業保険をもらいながら

先が見えずにダラダラと過ごしていました。



失業保険の受給期間も終わり、貯金も底をついていた時にちょうど

郵便局配達員の冬季募集があったので学生以来久々に応募し、

冬季期間は配達のバイトをすることに。



その後郵便の課長から仕事のスカウトを受けて

アルバイトとして郵便配達の仕事を始めます。



配達地域は区画ごとに班分けされていて、3ヶ月間の最初の班は

皆さん和気あいあいとしていてとても居心地がよく、

わからないことは優しく教えていただいてやる気も出てきましたが、

4ヶ月目~はとても厳しい先輩がいる班に変わり、かなり鍛えられました。



プライベートは優しいんですが、仕事になるとかなりキツイ事を良く言われ、

自分はできない人間なんだと刷り込まれるほどダメ出しされました。



メンタル的に耐えられず、やりたいことがあるからという理由で、

1年2ヶ月で郵便配達員を辞めます。

このとき2010年3月。気づけば24歳です。



実はアフィリエイトを知ったのは郵便配達員をする前で、

アフィリエイトで食ってみたいと思っていたのですが、

やり方が分からずに怠けて作業をボイコットしていた時期もここからです。



他人が書いたサイトは見るだけで参考にせず、

自分のサイトをなかなか作ろうとしない。

知識が乏しい当時はサーバーを借りるのも難しい作業だし、

ホームページもメモ帳でHTMLを書く必要が有ったのでハードルが高すぎて、

作るのにはいくつもの壁が存在し、やる気になれなかったのです。





食べていきたいと本気で考えるなら勉強するはずですから、

覚悟が足りなかったんじゃないかと。

そして現実逃避してパチンコ等の娯楽に逃げ出すという悪循環を繰り返していました。

後述しますが、このパチンコの間違った捉え方が自分自身を10年以上苦しめることになります。

思考を停止させるダラダラパチプロ生活

アフィリエイトで食べていきたいと思いながらも、

気がつけばパチンコ店へと足を運び、

ダラダラと台と遊ぶ日々が続きました。



当時あまり考えなくても勝てる台が多く、

パチンコでの収益は月に+10万~25万に落ち着き、

月間平均収支は+約20万円と、そこそこの結果を残せていました。



しかし肝心のアフィリエイトで食べていくための作業は疎かになり、

パチンコとアフィリエイトを天秤にかけ、

パチンコ打ってたほうが楽だなと考えて、

勉強をせずにパチンコを選ぶようになってしまったのです。



そしてそのパチンコ店に一日中入り浸る生活が長く続きました。



うるさければ耳栓をつけ、調子が良ければ入り浸り。

打っている間も何も考えずにダラダラと打つ始末。

そして調子が悪くて帰ったらアフィリエイトはそっちのけで

パチンコ関連のサイトや動画を漁る日々。



ピンで動いてましたし、振り返ると社会的にはあまり役に立つ存在では無かったですね。

パチンコ生活をしながらも若干アフィリエイト作業はやっていた

そんな中でも郵便局を辞めてから一つのサイトを作ったことがありました。

マッチングサイトを使った体験談を書き綴っただけのものです。

語彙力や知識の薄い状態で下手な文章を羅列しながら、

読み返すと赤面するような内容。



それでも100記事ほど作り、作った後はほとんど手を加えずに放置していました。

このサイトを作った理由は、登録者一人あたり4,000円の高い報酬が

発生することで、承認成果のハードルが低かったからです。



また、当時はそのくらいしか情報発信をする知識が無かったからです。

サイトを作り始めてから数ヶ月間はサイトによる報酬が

発生しないままパチンコ漬けの日々が続きました。



そんなある日、サイトによる報酬が少なからず発生し始めました。

金額に換算すると月に1~2万円程の報酬を得ることができました。



人生で初めてアフィリエイトで月に1万円の報酬を超えました。



その時はテンションが爆上がりしました。

テンションが上ったので体験談やコラムを

浅い知識と文章力で何記事か追加しました。



しかしそれ以降更新せずに、相変わらずパチンコ漬けで

報酬確定画面だけを見る日々が続きました。



そしていつの間にか2年の月日が経過していました。



このとき2012年6月。26歳になってました。



その体験談サイトには浮気や不倫というワードも含まれていたため、

月に5,000円以上の収益は得ていながらも、

道徳的にこのサイトを継続運営していくことに

後ろめたさを感じている自分がいました。

パチンコで勝てなくなり再びバイト。そしてアフィリエイトはそっちのけ

その2年が経過した時、パチンコによる収支が安定しなくなりました。

今まで貯めていた貯金に底が見えてきました。



このままではいけないと思い、

知り合いの税理士さんに商事会社の配達業を紹介頂きました。



なんとか首の皮が繋がり、そこで働くことになったのです。



商事会社では文具品やコピー用紙等をお客さんのところへ

営業車で納品に周るお仕事が一般的で、

時々テレビ棚の組み立てや、エアコン設置・クリーニングの補助等、

重いものを運ぶ手伝いをしていました。



勤務時間は午前9時~17時で残業なしのアルバイト形式でした。

仕事が終わったらアフィリエイトの作業をする時間は充分にありました。



しかし、パチンコ漬けになっていたクセが抜けず、

アフィリエイト作業はそっちのけで

空いた時間はパチンコに行くようになってしまっていました。



自分は当時認めていませんでしたが、知らぬ間にパチンコ依存・中毒者へ仲間入りしてました。

しかしそれでもアフィリエイトという単語は頭の中から離れず、

家へ帰ったときは寝る前に時々成功者の記事を読み漁ったり、

成功するには何が必要なのかの情報をよく探していました。

しかし当時の自分は「石橋を叩いて渡る臆病者」で思い切りが足りず、

失敗することを異常に恐れていたのでアフィリエイトに必要な作業

(ドメインを買ったり、サーバへ設置したり、記事を書くという作業など)を怠けたり、

胡散臭いと思って自己投資を避けたりしていました。



成功者の稼いだ記事を読んで自分も稼いだ気になって

自己満足をしてしまう日々が多々ありました。



何もしなければ稼げないのに夢を見るだけの日々。



時々自分が成功した夢を見ては、目が覚めたら稼げていない現実を見せられることがあり、

起きた時はやる気を出すも、明日があるさと気がつけば開店前のパチンコ店へ並びにいってました。



スマホをポチポチいじったりと、ダラダラした日々を相変わらず過ごして

1年の月日があっという間に経ってしまいました。



このとき2013年5月。気づけば27歳になっていました。



そしてこの2013年に自分を更にダメにする出来事が起こってしまいました。

「宝くじ」のロト7で100万円が当たってしまった

僕は学生時代から時々一攫千金を夢見て宝くじを買っていました。



特に数字選択式宝くじを買うのが好きで、

100万円以上の高額当選を狙ってナンバーズ4、ミニロト、ロト6を

楽しみで不定期に買っていました。



もちろんそれまで高額当選なんてしたことがなく、

10万円以上の当選なんて無いんじゃないかとさえ思いながら夢を買っていました。

億が当たったらどうしようなどと、夢と妄想を繰り返し巡らせ、

無駄な時間を消費していました。



2013年4月からロト7が販売開始になり、

とりあえずキャリーオーバーがでるまで購入を待ちました。



そして第7回販売時にふらっと立ち寄った田舎のスーパーにある

宝くじ売り場でナンバーズ4を1口と、初めてロト7を1口買いました。



ナンバーズ4もロト7も、好きな数字を選んで買いました。



ナンバーズ4は当時の自分の車ナンバーを、ロト7はパチンコ経験者からなのか、

自然と全部奇数を選んで買ってました。



選んだ数字は「01・03・05・07・27・33・37」の7つの番号でした。



第7回を選んだ理由は数字的に大好きなのと、

キャリーオーバーが20億ほど出ていたことにありました。



とりあえず1口でも買っとくかー的なノリでした。



話がちょっと変わりますが、僕は旅行に行くのが好きで、

貯金がある程度貯まったら兄がいる神奈川へ時々遊びに行って、

人混みの中を歩いたり、

ただただ電車に乗ったり、

アキバの街を歩いたり、

ふらっと寄った飲食店で食事をするのが大好きで、

定番となっていました。



頻度は年に1~2回と、低い収支の割にはよく行ってたほうでした。



商事会社で働いて1年、社長から正社員になるのかどうかを問われ、

その気はなかったので2013年5月初めで仕事を辞めました。



ちょうど兄の居る神奈川へ旅行に行く計画を立てていました。



出発する前日に準備をしていてふと、

先日買っていたナンバーズ4とロト7の事を思い出しました。



車の小物入れに雑に入れていた2枚の宝くじを財布にしまって

神奈川へ10万ほど用意して遊びに行きました。



仕事を辞めたこともあり、兄の所へは2週間ほど滞在する予定でいました。



東京の新宿でシェフをしている叔父がいるのでそこへ遊びに行く途中の出来事でした。



新宿駅の長い構内を歩いていたら宝くじ売り場がありました。



その時ふとナンバーズ4とロト7の事を思い出しました。



どうせハズレてるだろうと思いながらも、窓口へ称号をお願いしました。



待つこと30秒。



すると2枚のくじの他に1枚の紙切れ(明細)を渡された時、



窓口「おめでとうございます。1枚当たっていましたがここでは交換できないので、

当たりくじとこの明細を持って最寄りのみずほ銀行窓口で手続をお願いします。」

あきもん「えっ、まさかナンバーズ4が当たったんですか!?」

窓口「当たったのは・・・こちらのほうになります」

あきもん「!?」

確認してみると・・・



ロト7が当選していました。



まさかと思って金額を確認してみると、「1,065,300円」と書いてある。



なんと3等が当たっていたのです。



人生初の高額当選だったので100万でも興奮を抑えきれませんでした。



直ぐに兄に当たったことを電話で報告し、

その日は平日だったので、直ぐ様近くのみずほ銀行へ足を運びました。



店内の行員へ宝くじが当たったことを小声で伝えると、

「おめでとうございます」と小声で返ってきて、

換金に必要な書類を渡され、説明を受けました。



印鑑を持っていなかったのですが、

100円ショップに置いてある印鑑でもOKということで、

新宿駅周辺の印鑑販売店が書いてある紙をもらって、

必要な書類を書くのにも時間が必要だったので、

最寄りの店で印鑑を買って、

とりあえず叔父の勤める展望レストランへランチに行きました。



そこで記入したのが、

・宝くじ当せん金支払依頼書

・高額当せん宝くじ支払請求書

・高額当せんアンケート

の3つです。



ランチの後にこれらをすべて記入し、

再びみずほ窓口へ出向いて必要箇所に印鑑を押しました。



窓口からおよそ一週間後に当せん金の準備ができるので、

現金が良いか振込が良いか聞かれ、現生でお願いし、

当せん金受け取りを待つことにしました。



一週間後、ちょうどアキバでぶらぶらしていたら

みずほ銀行から準備完了の電話があり、現金を受け取りに行きました。



新宿のみずほ銀行で無事現金が入った分厚い封筒を受け取り、

兄のアパートへ帰り、兄の帰宅後に当せん金を見せて大盛り上がり。



お祝いに後日二人でうなぎを食べに行きました。



当せん金のうち10数万は兄へ宿泊費として渡し、

新しいパソコン等必要なものを20万ほど購入し、

残りの額は生活費に当てようと貯金することにしました。



当時は自己投資というワードなど知りませんでしたし、

良い投資先なんて勉強すらしていなかったので、

今の記憶のままで当時に戻れるならば、

当時の自分に忠告してやりたいくらいです。

当せん金は結局浪費してみるみる姿を消していった

しかし、金持ちになった気分で怠け癖が復活し、

数ヶ月アフィリエイトの作業もせずに呑気に遊び、

当然仕事もしていないので生活費、浪費でその当せん金は

みるみる姿を消していくことになります。



パチンコも勝ちを考えず無駄にお金を浪費して遊んでいました。

たかが100万。浪費すればスグに消えていくのは当然です。



残り10万ほどになった時、焦りが出てきました。



このままではいけないと、再度アフィリエイトで稼ぐ情報を集めました。

マッチングサイト紹介の更新はせず、新たにサイトを立ち上げることにしました。

再びネットビジネスを試みたが・・・

次は小銭貯金のサイトを立ち上げてみようと、

グーグルアドセンス方式のクリック収益メインのサイト運営を試みました。



しかし当時本も読んでいなかった自分に

貯金の知識などほとんどありませんでした。



読書はもちろん、キーワード検索も面倒で一生懸命にならず、

適当なキーワードを組み合わせてサイト作成に望んでしまったのです。



当然知識がなければ閲覧者を納得させる記事など書けるはずがありません。



しばらくネットでリサーチをすると、

記事作成を代行するサービスがあることを知り、

宝くじの当せん金残り10数万を使って記事作成40記事の代行と、

サイトのイラストを外注でお願いすることにしました。



記事納品とイラスト納品には2週間ほど時間がかかったので、

その間はサイトの形を作るため、

SEOに強いSIRIUSというサイト作成ソフトを3万ほどで購入し、形だけ作りました。



記事とイラスト納品後、40記事をコピペし、

イラストを差し込む作業を行いました。



納品記事の改行とGoogleアナリティクスの挿入・

グーグルアドセンスの埋め込み作業も行い、

その後1ヶ月は放置していました。



放置してから2ヶ月後、サイトへ閲覧者が少しずつ来るようになりました。

一日平均60人ほどで、キーワード単価が高めからか、

1ヶ月およそ3,000円の収益が上がるようになりました。



収益が上がって嬉しかったのですが、サイトの作成・更新に精を出すということが当時は無く、

更新を滞らせてしまい、マッチング紹介サイトと小銭貯金サイトの

訪問者数と収益の確認のみをダラダラやりながら、

またパチンコで稼ぎに行くスタイルに戻ってしまいました。



その時の自分は、やろうと思ったことをずっと後回しにしていました。

掃除にしても、

用事にしても、

提出物にしても、

ギリギリでやってましたし、時にはすっぽかしてしまうほど面倒くさがりな人間でした。



そして自分のアフィリエイト意識は

「明日でいいや、明日があるさ」などと心の中でほざいて、

パチンコを打ちに行ってました。

ここで自分をダメにした要因が、

再びパチンコで収益を上げれる状態になってしまったこと。



月10万は最低でも稼げていたので、最低限生活に困ることはありませんでした。



田舎であっても、勝つことが出来る店が近くに数店舗ありました。

これでしばらくは大丈夫だろうと高をくくっていました。

パチンコ店に依存していました。



かなりの近所で、知り合いや当時の職場の人に会っていたので

パチプロの噂が立っていたかも知れません。



このスタイルが約3年続いてしまったのです。

ここで自分を苦しめる一番つらい要因が、

人に嘘をついていることと、

自分に嘘をついて全然成功できていないこと、

成功せず進捗報告をするときでした。



僕は2010年当時に郵便局を辞める時、

「やりたいことがあります。将来インターネットの仕事で食べていくために勉強したい」

という理由で仕事を辞めました。

そのとき課長から

「それをやり遂げるにはどのくらいかかるんだい?」

と聞かれ、

「早くて半年ほどでできます」

などと言ってしまいました。

職場の先輩にも、

「頑張ります。稼いだら飲みに行きましょう」

などと約束をしていました。



周囲の知り合いや会社でお世話になった人へも、

同じことを言っていました。



そして、YoutuberになったITの先輩にも同じことを言ってました。



成功できてない状態で、仕事の事を聞かれるのが一番つらかったです。



稼いでいないのに

「アフィリエイターやってます」

って堂々と言えませんでしたので、

「パソコンを使って商品を売る仕事です」

としか言えませんでした。



数年間は地元の集まりと、親戚の集まりに行くのが億劫でした。



上のような質問を必ずと言っていいほどされるからです。



これを堂々と言える覚悟が決まるまで、7年が経過してしまってました。



それまで嘘と言い訳の連続で、たまらなく自分が嫌になりました。



稼いでいない状態で稼いでいると嘘の報告をしたことがあり、

そういう自分が許せなくて情けなくて歯がゆくてたまりませんでした。



しかしその遊んでいる合間にも、アフィリエイトの情報収集は少しずつ行っていました。

遂にクレジット枠を使ってリボ地獄に

2010年当時、キャッシュバック目当てにクレジットカード数枚作っており、

しばらくは手を付けずにカードをしまっていました。

するとカード会社からの通知にて、ショッピング枠が160万ほどあるのが発覚。



この時から魔が差してしまった自分が居ました。



ちょうど先行投資や自己投資という学びをしていた僕は、

高額な商材に現金では手を付けられず、枠を使って少しずつ先行投資をしていました。



その間、それをリボ払いに変えて返済を伸ばし、高い金利を支払っていました。



本格的にクレカの利用を初めたのが2015年後半、

高額な買い物を60万ほどしてしまい、

それから更に40万ほど浪費し、

遂には固定費が払えない時にクレジット枠を使ってリボ払いにし、

約1年間繰り返し行っていたら、残りの枠が20万円を切ってしまっていました。



そしていつしか金利は増え、

ひと一月に2万円が金利として消える状態になってしまっていました。



元金は5000円程しか返しておらず、リボ地獄に陥ってしまったのです。



このとき2016年3月。30歳になっていました。



再びパチンコで稼ぎ続けるも再び稼げなくなり、

クレカで浪費を続けてピンチになってきた2016年3月、

自分にとって大チャンスが訪れます。

それは、インターネットで長く収益を得続ける方法を知ることができるものでした。

ネットビジネスの価値観を変える教材との出会い

しかも、閲覧者から喜んで商品を買ってもらう方法で、

今までに見たことの無い新鮮なものでした。



ここで僕にとって大きかったのは、今まで遊びながらでも

少しずつ重ねてきたインターネットビジネスの失敗談と成功談の

ノウハウや知識をそこそこ習得した状態でここにたどり着いたことで、

彼の言っていることが嫌というほど理解でき、うなずき、納得していました。



その人は僕に対して良いものを沢山無料でくれていました。



彼のメールマガジンを登録し、届いたプレゼントの無料電子書籍は

スマホで300ページを超えるボリュームでした。



読書嫌いな僕でさえ、1日で一気読みするほどの面白い内容でした。



読書中、ワクワクが止まりませんでした。

人生で初めて活字嫌いを忘れて読書ができました。



そして最後に、究極の商品の売り方のノウハウを提供しますとメールが届き、

縦長でかなりのボリュームの商材ページへ飛ばされました。



これまで嫌という程この手の情報商材ページを見てきてうんざりしていましたが、

彼の言うノウハウは嘘では無いんだと確信しました。

疑う概念が無く、いつしか彼を信じていたのです。



そして、その商材代金は20万円という高額なものでした。

しかし、僕に迷っている暇などありませんでした。

分割払いでも購入可能だったので、思い切って購入しました。



そこからが再びネットビジネスに向き合い、葛藤する日々を送ることとなったのです。

まず商材のボリューム。これがかなりの量で、

一日でとても消化しきれるものではありません。



目の前に巨人が現れた感覚で、圧倒されました。



学校でいうと、教科書を5冊ほどズシッと重ねられたような重みです。



動画のボリュームも、音声のボリュームも、テキストのボリュームもかなりの量。

しかし、本気でビジネスをしたい人に向けられた教材だったので

圧倒されながらも、やることを決めました。



そして今まで自分が求めていた、

誰も教えてくれなかったビジネスの基礎を学ぶこともできました。

まさに目からウロコでした。



1日で勉強する量を決め、毎月の支払いに焦りながらも

少しずつノウハウをインプットしていきました。

車で出かけるときは音声を聞き、

PCに座っているときは動画を見て、

膨大なテキストは印刷して本にして、

大事なところには線を引いたりして繰り返し読みました。



しかし、それでもパチンコから離れられず、

勉強から遠ざかることもしばしばありました。



商材の内容を一通り勉強したあとに一つ試しに仕掛けを作ってみました。

異性と出会う方法を薄い知識で書きつづった中身のあんまり無いものでしたが、

反応が少しありました。



しかし、薄い内容でファンが付いてくれるほど甘くは無いことを思い知らされました。



商材は一通り勉強したけれど、モチベーションが続かず、

結局パチンコへ逃避してしまう自分が情けなく感じました。



結局、仕掛けを完成させないと一円たりとも稼ぐことはできません。

それを分かっていながらも、身体がパチンコ屋へ向かってしまう己の覚悟の無さよ。



結局、本格的にインターネットで稼ぐ覚悟を決めるまで

商材を買ってから2年半かかってしまいました。



覚悟が決まるまでは、自分を追い込む方法を取るしかありませんでした。

その2年半でクレジット枠をギリギリまで使い、買いたいものを買えない状態にしました。

定職に就いてなく、個人事業主といっても収入がほとんど無いので信用なんてものはありません。



なので銀行からお金を借りることもできません。



サラリーマンをやらないと決めたからには、

信用を取り戻し、まとまったお金を頂くには自分の脳みそから

今まで集めた情報を組み合わせてアウトプットしていく以外ありません。



覚悟を決めるまでの2年半、膨大な量の商材の中身を

音声で聞いたり読んだりしながら血肉にしたり、

少しずつでも読書をしたり、良いと言われるものを取り込んだりと、

面倒なことはあっても実行していました。



そしてインターネットビジネスをやる覚悟を決めた時、

今まで経験してきた事と習得してきた知識を組み合わせ、

良い情報を一人でも多くの人へ伝えられるようになっている自分がいました。



文章を書くのがすごく苦手だった僕が、

上手でなくとも文章を書くことを苦だと思わなくなりました。

ただ、今までの自分自身には知識が足りなかったのです。

ついにリボ地獄に耐えられなくなってしまった

2016年7月、ついに月々のクレジットカードの支払いが合計6万を超えてしまい、

カードの支払いに限界を感じました。



なんとかできないかネットリサーチをしていると、

法律事務所のサイトにたどりつきました。



当時の借り入れ金は200万円に達してしまっていて、

返済が終わるまで10年以上かかる計算になっていました。



サイト名は司法書士法人杉山事務所というところで、

福岡に事務所があるとのことで、相談に行きました。



自己破産をしないといけないんじゃないかとビクビクしていましたが、

任意整理という方法で、元金のみで5年計画で返済ができるよう

カード会社へ交渉してくれるという内容でした。



成功報酬として杉山事務所側へ30万近いお金を出す必要が有りましたが、

長い目で見ると、リボ払いの金利より遥かに安い金額でしたので、

任意整理を決意しました。



全ての話を解決するのに数か月かかりましたが、任意整理の話に決着がつき、

月々2.5万の返済を5年間行うという条件

(合計2回返済が滞ると金利分と返済金一括請求)で返済がスタート。



クレジットカードが全く使えなくなるかというとそうでもなく、

リボ払いを行った3社(セディナ、楽天、ライフ)は使えず、

リボ払いを行わなかったdカードのみが一括のみで使用できるという

クレジット利用者にとってはありがたい状態となりました。





こんなことは経験したくありませんが、救済措置はあるんだなと知識がつきました。

もしあなたが同じ境遇に立たされている場合、

司法書士法人杉山事務所に相談してみてはいかがでしょうか。

2年間ICT支援員として働きながら自立を目指す

2019年9月に新たな仕事が決まりました。

ICT支援員として、学校の先生のPC機器のサポートをするという内容でした。



この職場は今までで一番居心地がよく、

更にネットワークやPCシステムの内容まで学ぶことが出来たので、

目からウロコなところもあり、学びの宝庫でした。



働きながらもサイトの更新は滞っていましたが、

他にも正攻法が無いか模索を続けたり、書籍を読んだり、

自己啓発のセミナーや音声を聴きまくったりしていました。


そんな中で見つけたのが、AMCというアフィリエイトのオンライン塾でした。



月額制の有料塾でしたが、そこでアフィリエイトで稼ぐために必要な知識を1年間学び、

頭に取り入れていきました。



今までのアフィリエイト作業で見えなかった世界がまた広がり、

可能性を更に感じることができました。

ICT支援員の仕事を辞め、動画編集の仕事へ移るが・・・

ICT支援員の仕事は楽しかったのですが、知人のYoutuberの方からオファーを頂き、

悩みましたが1本あたりの単価が高かったので、

新しいことに挑戦してみようと約2年間お世話になったIT会社を退職。

仕事として動画編集をするのはあまり好きな方ではなかったのですが、

当時は刺激が少なく刺激を求めていたのか分かりませんが、

事務所が家からも近かったので動画編集の仕事に携わることになりました。



いざ動画編集の仕事に入ったものの、自分が思っているよりキツく、

10分の動画を完全に納品するまで30時間以上かかってしまう始末。


おそらく慣れたとしても自分の腕では1本あたり15時間はかかる計算になります。

聞いていた話では編集のみで良いとの事でしたが、

いざ作業を行うと、サムネ作りだったり、その他の作業を色々行う必要が有り、

これでは精神が持たないと言う事で約半月で辞める旨を事務所へ伝えました。




流石にボロクソ言われましたが、詳細な理由は言わずに事務所を後にしました。

職業訓練校でパソコンスキルの補填を行う


前の会社で雇用保険に入っていたのですぐさま申請。

職業訓練校に入校すれば給付制限が解除されると言う事で、

すぐさま入校志願を行いました。




目的はパソコン関係のスキルアップです。

Word,Excel,PowerPointの使い方が良く分かっていなかったのと、

ブラインドタッチ(タッチタイピング)が出来ない状態だったので

それらを習得したいという明確な目的がありました。




面接を行い、無事合格。

およそ4か月間訓練校に通い、スキルを習得していきました。

その間もネットビジネスについての野望は持ちつつ授業を受けて行きました。

4か月もあっという間で、一番身についたのはタッチタイピングのスキルで

入力速度が2倍以上アップしたことが大きな糧となりました。




ICT支援員のままでもよかったのですが、

もしかしたらタッチタイピングのスキルを身に着けるため、

神様が仕組んでくださったのではないかと

自分の中で勝手に思っています。



必要な知識を習得していけば、だんだんと話を広げることが出来る事を知りました。

これからも怠ること無く、知識をつけて一人でも多くの人へ喜んでもらえるよう精進します。

かなり長いプロフィールになりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。



今後もあなたに有益な情報発信を心がけて行きます。

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